(この挨拶は2006年に準備されたものです。)
中川正壽
創立10周年。しかし私にとってはこれはまた新たな始まりである。
27年前海外布教の志を胸に来独した。
その後、小さいながらも国際的に通用する禅センターの設立を念願とし、長期にわたり何十軒という物件を見て歩いたが、建造物の新築、改築、使用目的に著しい制限がある厳しい法律の壁にも阻まれ難航する中、96年3月に現在の普門寺の建物に巡り合った。
田舎の美しい自然の中に建つ建物は、センターに改造する条件にかなうものではあったが、老朽化が進み、購入資金はあっても其の3-4倍はかかりそうな改築費のめどは全くなかった。
「ここを坐禅の修行道場にするために自分は生まれ合わせ、ドイツに来たのだ。」という強い思いを感じ、購入を決意した。
それ以降、普門寺に関わる一切の試練とそれを乗り越える訓練が自分にとっては達磨大師の九年面壁にあたるのだと言い聞かせてきた。
外見はともかく、旧農家の粘土土台の上に建て増しを重ねてきた家で、上下水道も半ば腐っており、雨漏りのため青カビのはえる天井の下に何年も過ごした。
資金不足。
建物が2棟ある事もあり、抜本的工事は遅々として進まなかった。
元屋内プールの上に床を張り本堂にしたのだが、床の完成は別館落慶の2日前だった。
それでも覚悟を決めていた私はともかく、禅の修行を心がけてやってきて、休暇も小遣いもほとんど無しで通常の作務、工事作業と膨大な量の仕事をこなしてきてくれたこれまでのスタッフの刻苦勉励には頭が下がる。
数週間から数ヶ月にわたり住み込んで手伝ってくれた人まで入れると数百人にのぼるこれらの人達の奉仕の上に今日の普門寺がある。
日本からのご支援にも衷心感謝を申し上げねばならない。
普門寺御開山をご允許いただいた大本山永平寺78世宮崎奕保禅師からは数度にわたり絶大なるご支援を拝受した。
別館改築の仕上げも本館の屋根の修理もひとえに禅師のお力添えに依る。
当寺勧募帖に頂いた禅師自らの御揮毫は石刻し境内に置かせて頂いた。
全国の御寺院や一般の方々より多大の勧募を頂けたのも海外寺院としては数少ない本山永平寺直末に位置するからである。
平成8年の禅センター創立開所式には本山専使として金原東英老師(当寺尚事、後単頭職も務められた)にお越しいただき、皆目万事に心得のない私にその後も手取り足取りご指導頂いた。
平成9年宮崎禅師御開山勧請拝請・開眼供養には、当時後堂の天藤全孝老師に導師を厳修して頂きました。
平成10年本堂改築完成には、その後も一方ならずご支援を頂いている南沢道人監院老師(当時)の御一行、そして普門寺に何度もお越しいただいている本山国際部長の松永然道老師をお迎えして祝典を執り行うことができました。
同年10月には別館改築完成を祝い酒井老師同門下の法友、祖山永平寺安居の法友、京都山城高校山岳部の面々、さらにご縁を頂いた多くの方々に来て頂き、励まして頂いた。
この10年ご協力、支援、適切な助言、指導を頂いてきた方々は限りない。
後に寺誌として記録させて頂きたいと思う。
真龍庵博林津龍さんのご紹介で知遇を受けた横浜善光寺の黒田武志老師は、アメリカで今日の禅の発展の基礎を築かれた、実兄の前角博雄老師や御自身の体験を思いおこされ、欧州で苦労しているのだからと未熟な若輩に大変目をかけてくださった。
宮崎禅師を普門寺の御開山に拝請することが可能になったのは老師ご夫妻のご尽力による。
黒田老師が生前お約束して下さったことが実って、清楚で美しい石造り観音菩薩と地蔵菩薩が昨年10月に普門寺に届けられた。
後に誰でもお参りできるように境内にお祠りしたいと思っている。
恩師である酒井得元老師の教えが私の信条の基盤である。
最後に老師にお目にかかったのは普門寺創立の年の11月だった。
長期の入院生活でその頃には意識を持たれないことが多かったそうだが、お訪ねした時には、御自分で上半身を起こして私の持参した普門寺の写真を見つめ、何度もうなずかれながら私の説明を聞いて下さった。
その後ご遷化になる22日まで再び意識を戻されることはなかったと聞いている。
この時老師はお心にてこの普門寺にお越し頂いたのだと私は思っている。
数年後縁があって、葬儀に参じることのできなかった私に老師のご遺骨を分けて下さる方があった。
その方よりご遺骨を受け取った時、『老師、ご一緒にドイツに参りましょう。普門寺までご案内致します。』と思わず心の中で語りかけた。
今普門寺境内,下方に池を見下ろす位置に老師のお墓がある。
先年酒井老師のご縁や本山安居のご縁など様々なご縁が実って「ドイツ普門寺国際友の会」を結成して頂いた。
奈良康明駒沢大学総長や泉岳寺小坂機融老師のご尽力による。
誠に有り難いことであると同時に皆様の期待を決して裏切ってはならぬと責任の重さをひしひしと感じる。
私は非才不肖ながら、この地にありこの任を与えられているのだと自覚して、皆様方のご支援の心にお応えし、一歩一歩普門寺を確実に前進させていきたい。
合掌
ドイツ普門寺堂頭 中川 正壽 九拝
(これは2007年に準備されたものです。)
現在結制安居の最中で、毎日3時45分、接心ともなると2時45分起きの生活である。
今年は今のところ暖冬だが、すっかり冬の様相を呈してきた。
今でも目を閉じるとあの盛儀がまるで昨日のことのように、また遥か遠い昔のことのように思い出される。
今回の10周年記念行事、中でもとりわけ晋山式は、私のドイツ生活27年の中で最も重要な精神的区切りとなる出来事だった。
禅宗の伝統にのっとった式典をこのドイツの地で行いたい。
今から思えば少し無謀とも思える私のこの強い願いを実現するため、数え切れぬほどたくさんの方々に助けて頂いた。
日本の式典など見たこともないヨーロッパ人達に写真を見せながら説明をし、予算もないので法具や貸しテントの会場の内装を手先の器用な人達に作ってもらった。須弥壇、荘厳、経机、見台、賽銭箱など皆手作りである。
式前日、試しに須弥壇にのってみたら倒れてしまい、大急ぎで修繕した。
随喜寺院の中には式典のしばらく前に来て下さり、夜遅く寝る時間を削ってまで手伝ってくださった方もある。
皆さんの協力、献身奉仕、物質的・精神的ご支援なしではこのように大掛かりな式など全く考えられなかった。
これほどたくさんの方々に遥々遠方からおこし頂き、激励して頂け、衷心感謝の意に耐えない。
また、今回来られなくとも今まで普門寺を応援して下さったすべての方々にも、感謝申し上げたい。
何分仕事に忙殺されており、行き届かない点が多々あり、一人一人の方へのご挨拶までなかなか手が回らないことをお許し頂きたい。
皆様のご支援・ご協力なしにはこれまでの普門寺の発展は考えられない。
この紙面をもって今一度皆様方に心より御礼申し上げさせて頂きたい。
ついこの間までは夢のまた夢と思っていた函櫃を備えた僧堂が屋根裏ながら完成した。
釈尊以来の伝統による三ヵ月結制の修行が行えるようになった。
これで普門寺の土台作り、作務による建物の改修作業も一段落だ。
相変わらず赤字続きで財政面は多難ではあるが、収支がゼロに近づいてきて、普門寺をずっと続けていける目処がなんとかつき、本来の使命に集中できるようになってきたのは有り難いことである。
これからは普門寺サンガをしっかり確立しするためにもっと力を注ぎたい。
普門寺の根本は正身端坐・直心端坐の坐禅である。この坐禅を一人でも多くの人に広め、禅修行をベースに、人間精神の覚醒と心身のバランスの取れた「直心」の根本精神を養って頂く。
そのために、現代人に有益な様々な講座を提供し、それを通して具体的に社会への奉仕を実現していきたい。
これからも皆様がどうか普門寺を暖かく見守っていってくださるよう願う。
そして是非泊りがけで普門寺の活動をご覧にいらして頂ければと思う。
異なる文化・価値観の中での布教では、学ぶ事、考えさせられる事も多いが、普門寺はまだまだ手探りの状態。
皆様方との法縁を大事にし、これからも心の支えと叱咤・ご教授をいただければ幸いこれに勝るものはない。
また、この普門寺を大いにご利用頂きたい。
いつまでも初心を忘れず、ひとつの模索としての欧州発信の禅の隆盛を願ってやまない。
合掌
ドイツ普門寺堂頭 中川 正壽 九拝