アイゼンブッフ禅センター

堂頭の紹介

普門寺の顔。中川正壽老師

普門寺の顔。中川正壽老師

ここで、普門寺を創立し、堂頭の任にある中川正壽を簡単に紹介させて頂きます。

1947年 昭和
 22年
京都生まれ。
臨済宗本山妙心寺の側で育つ。
1953年  28年 16歳で 臨済宗師家盛永宗興老師に出会い、教えを受ける。
当時、朝日新聞日曜版に連載されていた沢木興道老師の法語に感銘を受け、京都安泰寺に隠栖されていた沢木老師を慕う。
1965年  40年 慶応大学1年生(18歳)の時、後に師となる酒井得元老師に出会い、熱心に都内参禅会に参じる。
大学の休暇時には京都安泰寺にて内山興正老師の参禅会および夏期講習に参加する。
1970年  45年 駒沢大学教授で慶福寺住職の酒井得元老師について得度。
1971年  46年 慶応義塾大学文学部哲学科哲学専攻卒業。
1973年  48年 駒沢大学大学院人文科学研究科修士課程仏教学専攻修了。
1973年
  から
1975年
 48年
  から
 50年
一宮常宿寺、また名古屋妙元寺にて療養と修行。
川瀬玄光尼老師のもとで薫陶を受ける。
なお、酒井得元師、内山興正師、川瀬玄光師は沢木興道師の高弟でした。
1975年
  から
1978年
 50年
  から
 53年
大本山永平寺に安居。
1976年  51年 大本山永平寺七十六世泰慧玉禅師を法幢師として首座をつとめる。
1979年  54年 渡独。
それ以来、常にドイツに住み、ドイツを拠点に欧州で布教活動にあたる。
当初は、ミュンヘン近郊の禅センター、後には私庵アルゴイ直心庵を中心にして、主にドイツ・オーストリア・スイスで接心指導にあたる。
1989年 平成
 元年
曹洞宗西ドイツ開教師に任命される。
ミュンヘン直心庵禅堂を設立。
現在ドイツ在住曹洞宗ヨーロッパ国際布教師。
1996年   8年 大悲正法山興聖普門寺・アイゼンブッフ禅センターを設立。
以後普門寺を中心に布教・啓蒙活動に努める。

 

恩師酒井得元老師(左)と共に。東京観音院での接心の折に。

恩師酒井得元老師(左)と共に。東京観音院での接心の折に。

 

「大悲山普門寺の使命は、広く一般の方々に禅を通しての仏教を紹介すること、世界に開かれた本格的な坐禅道場を実現することにあります。渡独以来の悲願であった修行道場をようやく発足させることができましたことは、私にとって無上の喜びであると同時に、その責任の重さを日々痛感しております。」

普門寺の開設にあたり、中川師はその決意を語られました。

 

  • ドイツ語の著作に1997年「Zen,-Weil wir Menschen sind」「禅、人間であるがゆえに」があります。
  • 普門寺刊行の小冊子として、「Lebendige Lehre.Die Bedeutung von Zen-Meister Dogens Unterweisungen fuer unsere Zeit」(生きている教え。現代に生かされる道元禅師の教えの重要性)「Praxis des Zen」(禅の実践)「Zen-Dynamik」(禅のダイナミズム)を発行。
  • ドイツ語版「正法眼蔵随門記」の序文執筆(1987)や、ドイツ語仏教雑誌「BuddhismusAktuell」「Ursache & Wirkung」などへの寄稿活動も行っています。
  • 琴古流尺八師範(鈴慕会)