アイゼンブッフ禅センター

僕の燃え尽き症候群

 昨年から普門寺に来てくださるようになったミラー氏が普門寺に来るようになったいきさつと普門寺に対する思いをまとめてくださったものを要約して和訳しました。

「僕の燃え尽き症候群と普門寺と」

 2011年5月の月曜の朝いつもどおり起きて歯を磨いていたら気分が悪くなった。
日曜のうちに書類も揃え、仕事の準備は済ませてあったのに。
突然糸が切れたように頭の仲が混乱し、どうしていいかわからなくなり、どんどん怒りがこみ上げひどくなる。深呼吸して落ち着こうとしても手足はしびれ歩くどころか立つことすらできない。

 医者に行くと燃え尽き症候群と診断された。信じられなかったがとりあえず自宅で休むようにと病休を1週間もらったけど、この間に症状は悪化して僕はどんどん攻撃的になった。

医者は軽い抗鬱(こううつ)薬をくれた。
3週間目に、症状の軽減の薬ではなく解決策が欲しいのだと医者に訴えると、改善の見込みが望めるとしたら精神科か精神身体医学科だろうと言われ、何週間も待たなければならなかったけど精神身体医学科に入院した。精神科だと薬漬けにされそうな気がしたからだ。

病院では皆それぞれ問題を抱えてはいるがとても優しい人々と知り合いになった。僕は知的で感じいい若者という印象を与えたようで、皆どうして僕がここにいるのかわからないと言い理由を説明しても信じられないと言われた。
でもリラックスをする練習の最中に誰かがドアをばたんと大きな音をさせて閉めたりしたら飛んでいってその人に殴りかかりそうになるくらい攻撃的衝動に駆られる。

どうにかしなければと思い傍の本屋で心理学・自助の本を探してThorstenHavener著の「あなたの考えていることがわかる」(Ich weiß was Du denkst)を見つけ買った。
僕の問題とはかけ離れていたのだけれど、人のシグナルに気を配り何事にも気づき(仏教の八正道の「正念」にあたる)の生活を行うという彼のやり方に感銘した。

これについて熟考を重ねるうち、これが僕の危機脱出の糸口になるに違いないと確信した。

この頃僕はどうしようもないほど激しく自由が欲しかった。鳥のように。だから職を離れる日に巡礼に行くことにした。

 

 

 

 家に帰って僕の考えを妻に話した。
僕もすっかり変わってしまったし将来も不安定だし、不安になるのは当然で、妻は別れも視野に入れて悩んでいたけど僕は別れたくなかった。
そんな時奇跡的タイミングで妻の妊娠がわかった。

 それで巡礼をやめようかと一時悩んだが、決めていたとおり旅に出た。100ユーロだけを持って。
宿の当てはなかったけどそんなことはどうでもよく、うまくいくと思えた。
夜は村の主任司祭の扉をたたき、寝るための場所を少し与えてもらえないかと聞くとほぼいつも場所を与えられた。巡礼者用のホステルにも2度泊まった。

巡礼者用の杖とリュックサック姿でひげだらけの見知らぬ僕を実の息子のように隣人愛と友情で接してくれる今までの人生で一度もであったことがないような暖かい人達。ドイツにこんな人達がいたのだ。

そして何事にも心をこめて行動することを学んだ。一歩、一息はそれぞれその瞬間だけのものなのだ。
辛苦で体中が痛んでいる時ですら理解しがたいが幸せを感じた。僕は自由で誰も僕に与えたり奪うことはできないのだ。
7日目にトリヤに迎えに来てもらい家に帰った。終わったのではなくこれから始まるのだということがわかっていた。

 僕はリハビリのスポーツと仕事を始めた。
そのスポーツのコーチは若いがなにか特別なエネルギーを感じさせる女性で、何日か日本のお寺で過ごしてみたらあなたにとりとてもいいような気がすると勧めてくれた。

ネットアドレスをもらい普門寺のホームページを見て2011年10月に行くことにした。
仏教は全く知らないし何が待っているのかはわからないけど、何事にも心をこめて生活し行動する練習ができるし、行くことは正しいことだと感じていた。
そして普門寺の境内に一歩足を踏み入れた途端魔法のようななんともいえぬ懐かしさに圧倒された。
まるでずっと行きたくてたまらなかった場所にやっとたどり着いたような。。。

 

 

 

 今2012年5月。僕の新しい人生が始まってからちょうど一年。
僕は霊性と英知にあふれた筆舌に尽くしがたい場所普門寺アイゼンブッフ禅センターの27号室のベットに横たわりこれを書いている。

僕がどうしてここに導びかれてきたかを書き、これを読んでる全ての人に、ここに来てその英知を体験しそこから得られる贈り物を受けとる価値があると確信していると伝えたくて。
今「オープンモナストリィ」という長期コースの一部の自分の日程にあう期間のみ参加できるシステムを利用して普門寺のコースに参加している。

人生はひとえに心をこめて生活することであり、生きていくには十分長く、浪費するには短すぎるものです。

 3週間前に息子が生まれました。
次に来る時は妻と共に参加するつもりです。彼女も「心をこめて生活すること」*注が全ての基準であると気づいています。

これを読んでくださっている人といつかお会いしてこの道をどうやって見つけたのかお話を聞く機会がいつかくるかもしれませんね。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。

あなたも人生の真の英知を獲得されることができますように!
そうすれば幸せはあなたに背を向けることはないのですから。

 

アルベルト・ミラー

*注 日本語訳の「心をこめて生活する」は、今日では英語では「mindful」、ドイツ語では「achtsam」が使われている概念で、仏陀の八正道の教えの中の「正念(しょうねん)」が元になっています。メディテーションを基礎にして、気づき、目覚め、心をこめて行動し生活することを意味します。