SZI誌記事より1

SOTO禅インターナショナル誌の2015年Vol.56 と2016年のVol.57号に普門寺だよりというタイトルで2016年に20周年を迎えた普門寺の堂頭の中川老師の寄稿が掲載されました。20周年記念行事以外の内容を以下にまとめてみましたのでご覧ください。

中川正壽老師

 

こんにちは。尊董各位。皆様方。

今回ヨーロッパの動向も書いてほしいという事で寄稿の依頼を頂戴しましたので私がドイツ普門寺にやって来る人々と接するなかで見聞したこと、それを通して感じ考えることをお伝えしたいと思います。それから普門寺でおこなわれているコースなどもご紹介させていただきます。

皆様方ご存知の通りヨーロッパはただいま激動の時を迎えております。そしてそれは個々の人の心のあり方に色濃く反映されています。育ってきた家族、学校、地域社会、国、教育、職場のあり方などどれを取っても刻一刻と激変しており、その中で個人が圧迫されかつ個人では解決できないことばかりに取り囲まれており、全体としても解決の糸口が見えないことばかりです。

ここに来る人たちはまず安らぎを求めています。門を通って普門寺の境内に入った途端に心に染み通ってくる安らぎと静けさを感じると多くの人たちが云っています。
これこそまさに私の誓願であり、そのために山内のみんなが努力してくれています。一応サンガの組織と建物も整い、境内も庭園も野菜畑も参加者とサンガのメンバーによって手入れが行き届くようになりました。
「ここ普門寺は私のこころのふるさとです」と摂心の折の個人面談やサンガの集いで多くの人がはっきりと口にします。この言葉に現代人の悩みとまた普門寺なるスピリチュアルな場の使命と課題があります。

 ドイツの都会では二人に一人、地方では三人に一人の子供の親が離婚しています。つまり母子家庭やパッチワークファミリーがどんどん増えているわけです。大家族や親戚一同が集うことはありません。若いカップルは、自分たちの両親とは違い永遠に続く夫婦を夢見て結婚し子供が出来てしばらくすると離婚というパターンを踏んでゆきます。善し悪しではない。夫婦や家族を一単位として支える社会的基盤が崩壊していっています。
また職場でも学校でもデジタル化が進み情報と仕事量と仕事の速度に追いまくられています。うつ病が腰痛やガンと同じく蔓延しているのは社会のあり方、日常生活のあり方の激変から来ていると思っています。

 その中で家族崩壊と故郷喪失に晒されている人々にまことに些細で僅かなあり方ではありますが、坐禅修行を中心とする普門寺の修行活動を通じスピリチュアルな個人の成長とその人個人の心の根っこを見出してもらえるようにと努力しているわけです。
 国際化の時代、スピリチュアルな分野においても、いろんな霊性文化、様々な宗教が入り混じり、それらを何を基準にして判断してよいのか、何が自分に合っているのか、何を自分は必要としているのか、こうした問いの答えを見出すことが一層難しくなっています。
ここにあって私は道元禅師の宗教宗派を超えた「人間だから坐禅する。」という根本を皆さんに伝え、一緒に坐禅をし、行食や作務をして、時が来れば講話や提唱をし、また個人対話をしています。枯山水の庭園までのウォーキングメディテーションや大きな石やヤナギの大木をみながらの呼吸瞑想をしながら私の言葉を聴くと非常に心に響くそうです。一人ひとりの人に、この普門寺で学んだことを各自の日常生活で実践をして、その実践修行するところを自らのふるさと、拠り所とし、それをまた家族を支える根っこにしてもらいたいと願って努めています。

 この普門寺に実際にやってくる人たちが「ここ普門寺は私の心のふるさとです」という言葉にはこういった背景があるのです。

 デジタル化によるスピードは大きな成果を挙げるとともに一方では休みのないストレス社会を生み出しました。またグローバル化は人間一人ひとりの自己のアイデンティティを問う問題ともなっています。家族崩壊と故郷喪失、うつ病の蔓延、難民問題とテロの日常化。こうした激動するヨーロッパ社会の中で、地理的にはまさに取るに足りない点にしかすぎない普門寺ではありますが、13世紀激動の日本にあって深山幽谷の永平寺において坐禅を宣揚された道元禅師のみ教えである「人間だから坐禅する(普勧坐禅)」をモットーに、いろいろな形のコースを提供しております。その狙いは、各人の必要に応じたコースに参加してもらいながら、この普門寺の静けさと安らぎの中で日常の生活を振り返ってもらい、さらには生きかたの上で根本的なやすらぎの道を歩んでいただきたいということにあります。

 

 

 普門寺のコースは具体的には戒定慧の三つを基本にしています。

 「戒」は道元禅師の十六条戒にさらに遺教経の八大人覚の八項目を加えています。たとえば摂心以外のコースでは午後のひととき、まずはじめに私の短い講義がありその後参加者は4,5人の小グループに分かれ、グループごとに項目を選んで話し合ってもらう。どのように理解し、それをもとに日常生活を反省しまた今後どうしてゆくかなどを一人ひとりがその輪の中で話します。その後みなが集まる大きな輪の中で各グループの代表者が話し合った内容を報告します。
また私は夜坐の折に口宣の形で短くしかし強力に戒の元は坐禅にあり、また戒を行ずることは真実の愛の表現である、義務や規則ではなく真に愛するからこそ他人を傷つけないことを誓い実行するのだと強調します。
またこの視点から「安らぎの生き方」という普門寺のもう一つの哲学とそれに沿うコースがあります。これらのコースでも私はウォーキングメディテーションや提唱などを担当しています。

 「定」は摂心のタイプは様々ですが、坐禅,作務、提唱の他に5日以上のコースでは独参と称する個人面談的な一対一の対話の時間を持ちます。相談を受けるというより各人が普通には話せない心の悩みをただひたすら聞くのですが、身の上相談と違いどんな人生上の話であれ坐禅の修行という観点からアドヴァイスします。人生は修行でありそれは坐禅に極まり、坐禅の修行として人生を見ればまさに格好の修行道場となります。

 「慧」はスタディコースと眼蔵会となります。
スタディコースはサンガメンバーから選んだ人を担当者とし私とコンビでセミナーの形で進めます。竜樹の中論の触りや大乗経典の維摩経、華厳経などを紹介しかつごく一部を独訳で読み話し合います。
眼蔵会は私一人の提唱講義で、参加者がわかるように努力はしますが、わかってもわからなくてもどんどん話し切るということをモットーにしています。
私は日本で学生のころから参禅会に出かけましたがとにかくわからない、特に眼蔵の提唱はわからなくてそれでいて強烈に惹きつけられて聞きまくっていました。そしてそれが後に自分の人生の道を導く基盤になったのです。また準備をし皆の前で話すことは私にはまたとない勉強の機会でもあります。
眼蔵は自分が今わかるところがあればそれでよい、あとはただ正師の提唱を聴きまくれと言われてきましたが、まことにそのとおりであるとこの歳になって確信しています。
参加している常連のサンガメンバーに聞くと、そのときはわかったつもりだが家に帰るとさっぱりわからない、しかし私の情熱は伝わるようで、ぜひまたと次回も参加するとなんだか私のかつての経験と似たような感想述べています。

 詰まるところは世界中どこにあっても無所得無所悟の只管打坐、これに尽きます。正身端坐とはこの身をもってする存在の尊厳の自己実現と伝えています。

 仏道修行は戒定慧。それを普門寺ではこのように実践しています。冬場のクラウズーア禁足三ヶ月の日々も、中に1週間単位のコースを組み入れて参加を募っています。

 

 近年はドイツの十を超える主な都市で、在独日本人の方々が老後を考え老後に備え学び合う会を続々と設立しています。この運動はドイツ政府も大いにバックアップし、日本政府も対応するようになっています。法律、医療、介護のサポートなどのほかに、生きる死ぬということをスピリチュアルな面から取り組むので、僧侶であり会のメンバーである私が講師の一人として呼ばれ講演と質疑応答を務めます。本年夏はベルリン日本大使館が会場のひとつでした。これもまた普門寺活動の一端と理解しています。私の講演の後あるグループは早速に二泊三日でここ普門寺に参禅研修にやって来ました。外国にあって老い死んでゆくということは、全く文化の違う日本に生まれ育った在独在欧の私たちには様々な面での学習と相互扶助が必要です。 

普門寺は本年創立20周年を迎えましたが、将来も世のため人のために真に役に立つスピリチュアルなセンターとしてまた伝統に則った修行道場として発展してゆくように努力することを改めて誓願するものです。

合掌

中川正壽 九拝

 

この文章はSOTO禅インターナショナル誌の2015年Vol.56 と2016年のVol.57号に中川老師が寄稿した内容を一つにまとめたものです。