本当に最後までやりとおせるのか一抹の不安があった昨年と違い、2度目なので初めから落ち着いた心持ちで望むことができました。
3ヶ月のほとんどを足を組み坐して過ごし、そのうちの都合5週間は朝2時半起きで1日14回の坐禅。食事も禅堂で休憩もほとんどなし。でも1週間で体は早起きに慣れ、疲れも感じず、坐している間意識は完全に目覚めてました。
徹底して体を使った修行をすることは重要なので今回はおもいきって多くの時間結跏をして、それ以外は足を休めるために半跏趺坐。
私たちは小さい核となるグループを作り、事務・料理・清掃・誦経当番などお互いに調整し助け合い連帯意識を持ちながら、朝から晩まで集中して実践しました。
涅槃会接心の後ぐらいから疲れを感じるようになり、しばしば体が休みたがっていると感じました。3ヶ月の禁足安居も終わりに近づいてきたのです。最後の頃は作務が増え、朝4時起きになったので助かりました。そして「語り合い」の会で安居は終わりを告げました。
ここに滞在し、坐禅をし、目覚めの修行を行える機会があることは老師により実現した天からの恵みでありとても感謝しています。このことこそが普門寺の意義と将来性です。
多くの時間を内面的な反省に費やすことができました。人生において何が本当に大事なのか、なぜ私は生きているのかを覚触し、自己と周りを理解し、受け入れ、救済し、開放する、つまり「自分を学ぶ」ことです。
サンガの一員としての経験。皆と共に沈黙し、集中し、目覚め、繊細になる。私は自己と他者のために存在し、他者は私のために存在することを自覚することで絆が強まり、尊重しあえる。
内面の経験にはさまざまな局面・段階があり、坐禅は毎回違うものになります。その合間「私のしてるのは坐禅ではない。」と否定的な考えになったり「でも案外これでいいのでは。」と思ってみたり。テーマが浮かぶ。人が現れる。内なる「出会い」を経験する。それらはとても意義深い体験です。長い間の積み重ねで無意識のうちに持っている「固定した考え方」や「心のしこり」が癒される形で解きほぐされていく。色々な思いや心で経験する様々な内容。観念・思考と内部経験のさまざまな「質」。考える事により生じる観念と内から沸き起こってくる観念。悲しみ、怒り、困惑、確信、喜び、開放、ハーモニー、連帯感。
安居の最後には、昨年もそうでしたが興奮し苦悩に満ちた状態に落ち込んでしまいました。その後の語り合いや老師の言葉は、内面を知覚させてくれ自分の心の大事な部分に触れ、坐禅するだけでは救済されない、もしくは救済されにくい部分や、自分の意思に反して動く私の内部にいる何かが私の可能性を駄目にしてしまうのではという不安と向き合うのに役に立ちました。
私はいつも自分の人生と他者への責任は自分で取ってきました。私がここにいるのは完全に自分の判断です。
セミナーハウスの活動です。人々と出会い、ここで共に禅を実践できることが嬉しいです。ここで得れた豊かで多岐にわたる経験は何事にも替え難いものです。時々自分の力不足を感じ、疲労感のため人に与えたりオープンであることが難しくなる時があります。もっと学んで自己への配慮もちゃんとして、老師の言うところの「楽しくかつ骨の折れる仕事」を8ヶ月間喜びを持って行っていきたいです。
普門寺の存在と坐禅の修行をすることは、日常の大事な力の源で私の人生でもっとも大切なものになりました。そのためにここに来たのです。私の人生を霊的な道に捧げ、指導してくださる師の下で徹底した共同生活を行うことを深く切望していました。だから今もここに住んでいます。これが私の行く道で私が生きるために必要な栄養であり、これを追い求め吸収し実現していくことが私の人生の意義なのだとそう直感し理解しています。私が完全に信頼しているより大きな全きもののため尽力し瞑想を行いこの道を自ら学んでいく。そのためにここにいるのです。
自分の行動に責任を持ち、神と仏陀に自らを委ね導かれ、何であろうと既にあるもの、何であろうとやって来るものを受け入れてゆきたいと思っています。
お忙しいところありがとうございました。
今後の益々のご活躍をお祈りいたします。